2024年 京都大学 第一問
名倉有里「由切れに夜明けの歌をー文学を探しにロシアに行く」(文50点・理40点)
◎本文展開(マッピング)
第一意味段落(①~⑤)
① ラジオのロシア語講座・・・ブラート・オクジャワの歌「祈り」
↓
② 一風変わった詩に惹かれた/いつまでも聴いていたくなるような魅力
③ ロシア語講座のCDで聴いたロシア民謡・・・哀愁ある歌詞が心に残った
↓(ロシア語に取り組んで数年がたった頃)
④ 突然思いもよらない恍惚とした感覚に襲われてぼうっとなる
↓
「私」という感覚が薄れ、自分自身という殻から解放されて楽になる
↓
その不可思議な多幸感に身を委ねる/ますます真っ白になっていく
↓
その空白にはやく新しい言葉を流し入れたくて心がおどる
↓
「私」という存在がもう一度生まれていく
↓(いま思えば)
⑤ 語学学習のある段階に訪れる脳の変化かもしれない
(1)言語というものが思考の根本にあるからこそ得られる、言語学習の特殊な幸
福状態
第二意味段落(⑥~⑩)
⑥ 思春期の気負い・・・「ロシア語しかない」
選んだ道で本気を出せるか否かというのが一番大事な基準だった
(2)加えていうなら、逃げ場がないような崖っぷち、という場所を探してもいた
↓
いいじゃないか、本気でやれるなら。
世間一般で普通とみなされている道を外れようとも、ものすごく変わった人だと思
われようとも
⑦ ロシア語やロシア文学の本を片っ端から手に取る
↓
⑧ ペテルブルク行きを決める
↓(当時の私)
⑨ ロシア語・・・会話に関してはてんでだめ
社交的ではなく、世間話がものすごく苦手/人の話に耳を傾けるのは好き
↓
ロシア語も好きな所から好き勝手に学んだ
⑩ ある時期から会話もできるようになったが、今でも聞くのが一番好き
第三意味段落(⑪)
⑪ 新しい言語を学ぶ・・・魅惑の行為
↓
(3)人は新たに歩き始める
↓
母語ではとうにありふれたものになっていたものごと(B)
↓
もうひとつの言語の世界でひとつひとつ覚えるたびに、見知った世界に新しい名前
がついていく(A)
↓
オクジャワの「祈り」のよう
↓
(4)この歌の解釈は多様 →(例)
↓(けれども)
それらの解釈とはまた別の層にある要素・・・言語への希求のようなものがある
↓(この詩)
ひとつひとつの単語の辞書的な意味を疑わざるをえなくなる
賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことに
なる
↓(そうして)
緩やかにつながる言葉同士の関連性に目を凝らし、意味の核心に迫ろうとする
↓(が)
(5)核心は近づいたかと思えばまた遠ざかる
↓
「言葉」と「意味」はひとつにはならない・・・だからこそ面白い
◎設問解説
*前年度の評論とは異なり、随想からの出題で、ロシア文学研究者がロシア語の学習歴
について述べた文章。
*新しい言語(=A)を学ぶことは、母語(=B)ではありふれたものになっていたも
のごとを、もうひとつの言語(A)で見知った世界に新しい名前を付けていくことだ
と述べ、また、「祈り」の歌を通して、「言葉」と「意味」が一つにはならないこと
の面白さに言及している。
問一 傍線部(1)はどのような状態を指すのか、説明せよ。(3行 10点)
*内容説明。傍線部はロシア語=外国語の学習を通じて作者が感じた状態である。
第④段落の比喩表現を一般化する。
〈思考のプロセス〉
④「突然思いも寄らない狡猾とした感覚」
「「私」(=自己)という感覚が薄れ、自分自身という殻から解放されて楽にな
る」・・・解答要素(W)
「その不可思議な多幸感に身を委ねる」・・・解答要素(X)
「その空白にはやく新しい言葉を流し入れたくて心がおどる」・・・解答要素(Y)
「「私」という存在がもう一度生まれていく」
→自己が更新される ・・・解答要素(Z)
↓
(W)外国語学習の過程で自己の感覚が希薄化(=新しい感覚)
自分から解放されて楽になる
↓
(X)不思議な多幸感に包まれる
↓
(Y)自己の感覚に新しい言葉を取り入れたくて心が躍る
↓
(Z)自己が更新される感覚になる
↓
*これらをまとめる。解答欄は3行なので、一行25字程度として75字前後で解答を作成
する。
〈解答例〉
外国語学習の過程で自己の感覚が希薄化し、解放感と多幸感に包まれ、自己の感覚に新しい言葉を取り入れたくて心が 躍り、自己が更新される感覚になる今までにない状態。(77字)
*参考:大手予備校の解答例
〈S校〉
外国語学習の過程で自己の存在が希薄化し、自分から解放されるという不可思議な多幸感に身を委ね、新しい言葉を希求し、自己が更新されていく、これまでに体験したことのない状態。(83字)
〈K校〉
外国語を懸命に学ぶうちに、母語によって形成されてきた自分の枠組みから解放さ れ、新たに別のまっさらな自分が生まれ出るような感覚を得て、幸福に浸る状態。
(73字)
〈T校〉
語学学習がある段階まで進むことで母語に基づく思考の枠組みが希薄化し、自分がリセットされるような感覚の中で、そのまっさらな自分に流し入れる新しい言葉を希求する、多幸感に包まれた状態。(88字)
問二 傍線部(2)から読み取れる筆者の心情を説明せよ。(2行 10点)
*内容説明。傍線部の直前で述べられる「思秋期の気負い」「選んだ道で本気を出せる
か否か~」という部分を踏まえ、傍線部の「逃げ場がないような崖っぷち」を言い換
え、心情に変換して説明する。
〈思考のプロセス〉
⑥「ロシア語しかない・・・思春期の気負い」・・・解答要素(W)
「選んだ道で本気を出せるか否かというのが一番大事な基準だった」
↓
選んだ道に本気で取り組みたい・・・解答要素(X)
「逃げ場がないような崖っぷち~探してもいた」
→自分を追い込みたい・・・解答要素(Y)
「いいじゃないか、本気でやれるなら」
「世間一般で普通~道を外れようとも、~だからなんだっていうんだ」
↓
世間一般の評価は気にしない、自分を鼓舞・・・解答要素(Z)
↓
*(X)(Y)(Z)をまとめる。解答欄は2行なので、一行25字程度として50字程度
で解答を作成する。
〈解答例〉
思春期の気負いから、世間の評価を気にせず、自分を鼓舞して追い込み、選んだ道に本気で取り組みたいという心情。(52字)
*参考:大手予備校の解答例
〈S校〉
思春期の気負いから、世間一般の評価など気にせず、自分を追い込んで選んだ道を本気で努力し、結い窮したいという心情。(55字)
〈K校〉
人から評価されずとも、自らを賭けて取り組める将来の道へと自らを追い込んで自身を鼓舞しようとする心情。(49字)
〈T校〉
世間一般の価値基準に背を向け退路を断つことで、自分が本気になることのできる夢に向かって突き進もうとする気負った心情。(57字)
問三 傍線部(3)はどういうことか、説明せよ。(3行 10点)
*内容説明。傍線部を含む一文「その魅惑の行為(=新しい言語を学ぶ)を前に」を踏
まえ、傍線部の直後「母語ではとうてい~新しい名前がついていく」までを説明す
る。
*「新たに歩き始める」という表現を慎重に捉え、何がどう更新されるのかを説明す
る。
〈思考のプロセス〉
⑪「新しい言語を学ぶ」「魅惑の行為」
↓
★新しい言語を学ぶと言うことは魅惑的な行為である・・・解答要素(X)
⑪「母語ではとうにありふれたものになっていたものごと」
↓
「もうひとつの言語の世界でひとつひとつ覚えるたびに、見知った世界に新しい名前がついていく」
↓
★母語ではありふれたものと認識していた言葉の一つ一つに、新しい言語による新鮮な
名前がついていく・・・解答要素(Y)
◆「新たに歩き始める」
=これまでの既知の世界に新たなものの見方が備わる・・・解答要素(Z)
↓
*(Z)を着地点として、(X)(Y)とともにまとめる。
解答欄は3行なので、一行25字程度として75字前後で解答を作成する。
〈解答例〉
新しい言語を学ぶことは、母語ではありふれたものと認識していた言葉に新しい言語による新鮮な名前がつくことで、新たなものの見方が備わる魅惑的な営みだということ。(77字)
*参考:大手予備校の解答例
〈S校〉
新しい言語を学習するという行為を通して、人は母語でありふれたものと認識している言葉の一つ一つに、新しい言語による新鮮な名前を付けていくということ。(71字)
〈K校〉
母語とは異なる言語を習得する過程は、母語においてはすでに陳腐化していた言葉の一つ一つに、全く異なる名を与えていくという新鮮で魅惑的な営みだということ。
(74字)
〈T校〉
母語とは異なる新しい言語を学ぶことで、人は、母語を通して捉えていた旧知の世界を、新しい言語に基づく新鮮な眼差しで捉え直すことができるようになるということ。(76字)
問四 傍線部(4)について、筆者はこの歌をどのように考えているのか、本文全体を踏まえて説明せよ。(4行 10点)
*内容説明。歌に関する筆者の解釈は、主に第⑪段落で述べられているが、第②段落
(=「本文全体を踏まえて」)の要素も取り入れる。問五との書き分けが難しい。
〈思考のプロセス〉
②「一風変わった詩に~惹かれた」「いつまでも聴いていたくなるような魅力」
・・・解答要素(1)
⑪「それ(=新しい言語を学ぶこと)はオクジャワの『祈り』のよう」
→『祈り』の歌は外国語学習に通じるものがある ・・・解答要素(2)
「言語への希求のようなものがある」・・・解答要素(3)
「ひとつひとつの単語の辞書的な意味を疑わざるをえなくなる」
「賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことになる」
↓
普段は自明のものと認識している母語の意味を考え直す ・・・解答要素(4)
「緩やかにつながる言葉同士の関連性に目を凝らし、意味の核心に迫ろうとする」
「「言葉」と「意味」はひとつにはならない」「だからこそ面白い」
↓
言葉の意味の核心に迫ろうとするが、「言葉」と「意味」はひとつにはならず、そこに面白さがある・・・解答要素(5)
↓
*これらを整理すると
(2)『祈り』の歌は外国語学習に通じるものがあり、
(4)普段は自明のものと認識している母語の意味を考え直し、
(5)言葉の意味の核心に迫ろうとする
(3)言語への希求のようなものがある
(5)が、「言葉」と「意味」はひとつにはならず、そこに面白さと
(1)魅力がある
↓
★『祈り』の歌は外国語学習に通じるものがあり、普段は自明のものと認識している母
語の意味を考え直し、言葉の意味の 核心に迫ろうとする言語への希求のようなもの
があるが、「言葉」と「意味」はひとつにはならず、そこに面白さと魅力 があると
考えている。(117字)
↓
*解答欄は4行なので、一行25字程度として100字前後で解答を作成する。
この問題が一番難しい。まとめるのに時間がかかるので、この程度の解答が受験生に
は限界ではないか。
〈解答例〉(106字)
『祈り』の歌は外国語学習に通じるものがあり、普段は自明と認識している母語の意味を考え直し、言葉の意味の核心に迫ろうとする言語への希求を感じるが、言葉と意味はひとつにはならず、そこに面白さと魅力があると考えている。
*参考:大手予備校の解答例
〈S校〉
妙に惹かれる「祈り」の詩について、外国語学習に通じるものがある上に、単語の辞書的な意味を疑い、普段は自明視している言葉の意味を再検討し、意味の核心に迫ろうとする言語への希求が感じられるが、言葉と意味が一致しない面白さも伝わってくる。(115字)
〈K校〉
一風変わった歌であり、逆説的な箴言や一般的な固定観念への皮肉とする説など解釈は様々あるが、自明視されてきた言葉の意味の再考を迫り、言語の新たなありように期待を抱かせる、妙に心惹かれる歌だと考えている。(99字)
〈T校〉
様々に解釈できる一風変わった詩を持つ歌で、その詩を読む者に、普段は自明のものと認識している言葉の意味を再考することを迫ると同時に、言葉と意味の結びつきは固定的なものでないからこそ面白いという感覚を伝える魅力的な歌だと考えている。
(113字)
問五 傍線部(5)のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌の歌詞に触れつつ説
明せよ。(5行 10点)
*理由説明。第⑪段落『祈り』の歌の「賢い者には頭」「幸せな者にはお金」の歌詞を
説明しつつ、筆者の主張を結びつける。
問四と解答が多少重複するので受験生は戸惑ったかもしれない。歌詞の処理の仕方も
難しい。
〈思考のプロセス〉
⑪「『祈り』の歌」の不思議な歌詞 ・・・様々な解釈が存在
「賢い者には頭」「幸せな者にはお金」
↑
普段は自明のものと認識している母語から考えれば、「賢い者」「幸せな者」に「頭」「お金」は必要ない・・・解答要素(W)
外国語学習を通じて母語の意味を考え直す/言葉同士の関連性に目を凝らす/言葉の意味の核心に迫ろうとする ・・・解答要素(X)
↓
核心は近づいたかと思えばまた遠ざかる=「言葉」と「意味」はひとつにはならない
→つまり、意味は絶えず更新されるということ ・・・解答要素(Y)
↓
言葉の意味は日々変化しつつける ・・・解答要素(Z)=着地点
↓
*(X)(Y)(Z)をまとめる。時間がかかりそうだ。
★『祈り』の歌の「賢い者には頭」「幸せな者にはお金」という歌詞は、普段は自明の
ものと認識している母語から考えれば、「賢い者」「幸せな者」に「頭」「お金」は
必要ないが、この不思議な歌詞を読むと、外国語学習を通じて母語の意味を考え直
し、言葉同士の関連性に注目し、意味の核心に迫ろうとするが、言葉と意味は簡単に
結びつかず、意味は絶えず更新され、日々変化し続けるものであると筆者は考えてい
るから。(192字)
↓
*解答欄は5行なので、内容を整理し、設問要求を満たしているか確認し、一行25字程
度として125字前後で解答を作成する。なるべく時間をかけずにまとめたいが、おそ
らく受験生は手こずるだろう。
〈解答例〉
普段は自明と認識している母語から考えれば、この不思議な歌詞の「賢い者」や「幸せな者」に「頭」や「お金」は必要ないように、外国語学習を通じて母語の意味を考え直し、捉えようとしても、言葉と意味は簡単には結びつかず、意味や関連性は絶えず変化し続けるものであるから。(128字)
*参考:大手予備校の解答例
〈S校〉
「賢い者」や「臆病者」に、必要ではない「頭」や「馬」を与えようとする『祈り』の不思議な歌詞を通じて、普段は母語によって自明視している言葉の意味を見直し、言葉同士の関連性に注目すると、言葉の意味は一つに限定できるものではなく、様々に変化し続けるものだと考えられるから。(132字)
〈K校〉
既存の言葉の意味を自明視すると、賢さと「頭」、幸せと「お金」を結びつけてしか考えられないが、外国語を学びその自明性を再考して言葉の意味を掴み直した気になっても、言葉の意味や言葉相互の関わりが豊かな可能性に開かれていることを痛感させられることになるから。(125字)
〈T校〉
「祈り」の歌詞の、たとえば「賢い者には頭を」という場合の賢さとはどのような意味なのかと考えているうちに、そもそも言葉の意味を一意的に確定することなど不可能であり、そのような不確定性にこそ言葉の面白さがあるのではないかという思いにさせられて、一つの「正解」に安住することができなくなっているから。(146字)